3月22日、日本建築学会の拠点である建築会館で行われていた、内田祥哉追悼展実行委員会と日本建築学会が主催する、内田祥哉追悼展を観に行きました。最終日の滑り込みとなりましたが、実行委員長である深尾精一先生がいらっしゃったのでご挨拶をさせていただいた後、展示をじっくりと拝見しました。(なぜか、いつも、展示は最終日に滑り込んでいるような気がする。) 私の大学院博士課程での恩師角田誠先生の恩師である深尾先生の、さらに恩師である内田先生は、私の研究テーマである建築再生の分野を包含する、建築構法という建築の仕組みを学問として体系化させた、雲の上の存在です(私奥村は、ひ孫弟子ということでよいですか。ダメですか。そうですか。。)。 思い返すと、1994年の私が学部1年生の時に、内田先生の著書である「建築構法」を手にとり、教科書として使用していました。あれから28年経った現在、武蔵野美術大学で建築構法の授業を教えているのですが、どのように学生さんに教えるべきかなど、基本に立ち返る時には、今でも、内田先生の「建築構法」を手にとり、学び直すこともあります。(1994年!) この追悼展では、教育者や研究者としての、とてつもない成果の展示だけではなく、内田先生の学生時代のノートや、逓信省在籍時に設計された作品、さらには、AR(拡張現実)を用いた作品やご自宅の書斎の鑑賞など、コンパクトな展示空間の中での多彩な内容が展示されていました。 一つ一つの展示の感想は尽きませんが、最も印象的だったのは、内田先生の弟子たち(といっても、建築界の錚々たる方々)が、内田先生からかけられた言葉を展示したコーナーでした。社会は多様化して複雑に絡み合っていますが、だからこそ、物事はシンプルに考えなければならいなあと思いました。明確なのにウィットに富んだ、暖かく優しいことばだなあと、どれを見てもそのように思いました。展示されていた印象的な「内田先生のことば」を投稿させていただきます。私も建築構法を研究するものの端くれとして、諸先生方が積み重ねられた成果に少しでも上積みできるように精進したいと思います。 また、先日、東京大学の権藤智之先生から、権藤先生が編著をされている「内田祥哉は語る」を謹呈いただきました。持ち歩いて読んでいるところですが、改めて、じっくり内田先生の語りを胸に刻もうと思います。 2021年5月3日に96歳で永眠された内田祥哉先生のご冥福を心からお祈りいたします。
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建築の再生を設計することについて考えたことや、出会った方々とのできごとなど、
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2022年2月26日、恩師である近畿大学小川晋一教授の退官記念としての最終講義を拝聴いたしました。直前まで各種調整をされていたのですが、コロナウィルス・第6波オミクロン株の影響により、オンライン開催となりました。それでも、多くの現役生が校内の別室で講義を受け、OBOGも数百名が全国からZOOMを接続して、講義を拝聴していました。小川先生のお人柄がにじみ出ている講義だったと思います。 非常勤講師の中川雄三先生が司会をされ、「近大生の知らない小川晋一」と題して、1.事務所設立35年間の主な活動、2.事務所設立35年の主な作品、3.私の66年間の年表、4.皆に伝えたいこと、として、1200枚もの枚数のシートを、小川先生がいつもの物凄い勢いで講義をされていました。笑。作品はどれも、何度拝見しても、見応えのある内容でした。また、卒業生代表の佐々木勝敏先生の謝辞は、ウィットに富んだ、小川研OBOG全員の考えを代弁する感動的なものでした。それと、質疑応答で指名されて、このような場で直接、小川先生とやりとりさせていただいたことは幸せでした。 学生時代や初期の頃のお話もとても興味深く、多くの知らないことを教えていただきました。その中でも、私に刺さったことは、2点でした。1点目は、「自らの求める建築を求め続けること」、すなわち、何事も継続することが大切だということでした。建築再生を20年続けている者として、確かにそうであると感じています。2点目は、「褒めて調子に乗せる教育の方が良いと思っている」とのことでした。先生が学生時代にたくさん褒められた経験から、自信ややる気が生まれてきたので、教育者になってからは、学生を褒めて伸ばそうと思ってこれまでやってきたとのことでした。小川先生の優しさは、このような考えからきていたのかと納得なのと、私も肝に銘じようと思いました。 それと、来賓として列席されていた、元近畿大学の講師で、現在は、東京大学で教授をされている加藤耕一先生から、翌日、メールをいただきました。実は、来年度より、建築再生に関する共同研究をおこなうメンバーとして、ご一緒することになっているのですが、これまでお互いに、小川先生との関わりを話す機会がありませんでしたので、びっくりしたよとのことでした。小川先生が講義の中でも言われていましたが、さまに、人との縁やつながりを大切にしなさいということにつながっているなと感じました。 これまで、28年間、ありがとうございました。これからは、私たちOBOGが、小川先生の意思を受け継ぎ、前へ進んでいく所存ですが、まだまだ、小川先生にはご指導をいただきたいことがたくさんありますので、今後とも、引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。貴重な最終講義を、東京から拝聴させていただきました。誠にありがとうございました。 以下、私が退官の記念本の中で、小川先生に送った謝辞です。 憧れの存在 私は建築家になるべく建築を巡り,空間を体験し,知見を深めるために書籍を読み漁る中で小川建築を観取したのは,他大学で過ごした学部時代である.清閑で美しく繊細であるにも関わらず,なんて力強い建築なのだろうと衝撃を受けたことを鮮明に記憶している. 1998年,学部を卒業後,私は小川晋一先生が教鞭を執る近畿大学大学院への入学を希望し,小川研究室の門戸を叩いた.院生時代,多くは語らない小川先生の優しい口調の奥にある鋭い示唆に,いつも私は耳を傾けていた.造形的な指摘や意匠計画に関わる指導も受けたが,私は建築に向き合う姿勢や哲学を小川先生から学んだ.小川先生は間違いなく世界で一番カッコイイ建築(稚拙な表現であるが,私がそう思うので仕方がない.)を創造する建築家であり,私の学生時代から変わらない,今でも私の憧れの存在である.小川建築よりカッコイイ建築を私は知らない.憧れの存在が自らの師匠であることを,私は幸せなことだと思っている.言葉に出さずとも,小川研OBOGは,皆,そのように思っていると思う. 改めて,小川建築の何がカッコイイのかを思料すると,それは,研ぎ澄まされた貪欲なまでの究極のディテールに尽きる.これらを実体のある建築に落とし込み,ミニマルにまとめる検討過程は,極めて高度な思考を要すると拝察する.世界で初めてモダンデザインの枠組みを確立した,美術学校であるバウハウスの初代校長ヴァルター・グロピウスの言葉に,「全ての造形における,最終芸術は建築である.」という私の好きな言葉がある.建築は絵画などとは全く異なる次元における,上位の総合芸術であると考える.すなわち,建築は,芸術でありながら社会性があり,人命や人の生活・営みを左右することを意味していると私は捉えている.まさに,このグロピウスの言葉は,小川建築を示していると考える. 2014年,2000年3月に大学院を修了の後,長い時を経て,小川先生との再会は突然訪れた.当時,私が設計を担当したプロジェクトのクライアントが,小川先生のクライアントでもあったのだ.東京,新宿駅西口の思い出横丁で,クライアントを挟んで3人で酌み交わしたことを,私は一生,忘れないであろう.何よりも,小川先生に,私という小さな存在を覚えていただいていたことが嬉しかった. 2020年,小川先生から私の携帯電話に突然のcallがあった.驚きを隠せなかったが(隠したが),それは,母校の伝統ある特別講義の講義依頼の連絡であった.母校で講義をさせてくださることが誇らしいし.また.歴代の錚々たる建築家が教鞭を執る近大建築の名物と言ってもいいであろう,特別講義の演者として名を連ねさせていただいたことについては,万感の思いがある. 現在,おこがましくも,建築の再生を設計するといった,社会的には小川先生と同等の立場で戦う身となったが,今の私が存在し得るのは小川先生のおかげであると言っても過言ではない.改めて,この場を借りて密やかに,しかし,強く感謝の気持ちを小川先生にお伝えしたい. 小川晋一先生,ありがとうございます.合わせて,これまでの近大建築への教育に尽力されましたことについて,本当にお疲れさまでした,とお伝え申したい.小川先生の教え子として,先生の名を汚すことのなきよう,精進する所存である.これからも,これまでと変わらず小川先生にご指導をいただけると私は幸せである.小川先生がこの稚拙な文章をご高覧くださると幸甚である. 1999年度大学院修了 奥村誠一建築再生設計事務所 代表 奥村誠一
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2022年1月18日、前職の青木茂建築工房からの要請により、設計監理の担当をさせていただきました、港区立伝統文化交流館の竣工後の2年点検をおこなってきました。 関係者で指摘事項を確認し、対応方針を検討しながら、維持管理に関しての協議をおこなってきました。総じて、丁寧に建物を利用していただいているようで、綺麗な状況が保たれていました。日頃の適切な維持管理が見て取れます。 点検終了後、駐車場で、イチゴの販売がおこなわれていました。コロナの影響により、百貨店での通常販売が難しいため、この建物の外構部分で販売会が行われていると、館長さんからお聞きしました。協力するべく、イチゴを購入させていただきました。茨城県のつくばにある、むつみ農園さんのイチゴで、桃薫(とうくん)というイチゴなのに桃の香りや味がする、大きいものは1粒1000円もするものや、真っ白なイチゴ(ロマンス)、真っ赤な大きいイチゴ(いばらキッス)などを安く購入させていただきました。みなさまも、お近くを通ることがありましたら、ぜひとも、ご協力くださいませ。ちなみに、ブックリするほど、美味しいです。 むつみ農園https://minato-denbun.jp/news/news-349/ 設計当初より、外構部分での利用も想定したのですが、コロナ禍、このような利用のされ方を見て、とても嬉しく思いました。住宅街にありますので、口コミで多くの方が並んでいました。建物の利用状況は、コロナにより、当初の想定よりも大幅に制限がされているとのことでしたが、この建物は、血の通った、地域の賑わいの中心となっていました。これからも、地域に愛される建物の再生に携わることができれば幸いです。 これとは別に、知人から港区伝統文化交流館でおこなわれる「港区の歴史的建造物のあり方を考える」というイベントが、1月23日10時からあることをお聞きしました。お時間があり、ご興味のある方はぜひ、こちらも、ご参加くださいませ。 港区の歴史的建造物のあり方を考える 〜クレッセントハウスを語る会〜https://www.facebook.com/events/446133333891980/?acontext=%7B%22ref%22%3A%2252%22%2C%22action_history%22%3A%22[%7B%5C%22surface%5C%22%3A%5C%22share_link%5C%22%2C%5C%22mechanism%5C%22%3A%5C%22share_link%5C%22%2C%5C%22extra_data%5C%22%3A%7B%5C%22invite_link_id%5C%22%3A329657382359643%7D%7D]%22%7D 投稿写真の中で、前面道路が石畳のように見えると思いますが、2区画先にある港区の文化施設であるみなとパークと本建物を結ぶために、本整備と合わせて、港区が道路を整備したものです。小さいながらも、街並みを作っていこうとする港区の考え方に共感を覚えます。
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本年もよろしくお願いいたします。昨年は大変お世話になりました。本年、当社は、1月5日から始動しております。 2022年1月4日、昨日、当社で初めての建築再生プロジェクトにおける行政検査を昨年末に終え、建物の遵法性に関するお墨付きである検査済証が発行されました。敷地内に複数棟の建物がある場合の増改築の計画なのですが、行政・審査機関などの見解の相違があり、手続きに時間がかかってしまいました。小さな一歩ですが、建築再生を冠する設計事務所としては、とても嬉しいことです。 富士山の見える立地ですので、年始のご挨拶としてめでたいので、その現場からの写真を投稿いたします。プロジェクトについては、またの機会に。 昨年も多くの方からお声がけをいただき、実務や教育および研究をさせていただきました。仕事のオファや大学での講義のご依頼など、一つ一つ、全てのことがありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。これらの一つ一つのできごとを大切に日々を過ごしていきたいと考えています。 一昨年も同じことを思いましたが、ウィズコロナの社会になり、ますます、人とのつながりや縁の大切さを身に染みているところです。疫病の収束の目処は見えてはいませんが、少しづつ、日常を取り戻しつつあるのではないかと思っています。今年は挑戦の年と位置づけて(といっても、常に挑戦の年ではありますが)、気を抜くことなく、それでも、楽しく元気を失わずに、前に向かってしっかりと歩みを進めたいと存じます。私の近しい方々からも、いろいろな挑戦をするということを聞いて、一緒にがんばっていこうと思いました。 いつも、みなさまの投稿を楽しく拝見させていただいておりますが、本年も、いろいろな意見交換をさせていただけると幸甚です。コロナ禍、どうぞ、みなさまご自愛くださいませ。今後とも、引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。 奥村誠一建築再生設計事務所 奥村 誠一
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12月26日、入谷の記憶を未来に繋ぐ会が、大正12年の関東大震災復興時の改築小学校として大正15年に建設された復興小学校である旧台東区立坂本小学校の、解体前の大掃除を主催していました。 旧坂本小学校は、築100年ちかく経過した大正モダン建築であり、地域のシンボルとして、地域の方々に親しまれた建物です。平成8年に廃校になった後も、地域の活動の場として活用されていました。しかし、老朽化のために、2022年3月には解体に着手することが決定しているとのことで、残念ですが、最後のお別れとして、お掃除の会が開かれるとういうことで、最終日に台東区の伴宣久さんと一緒に参加させていただきました。 2時間のうち、1時間半は雑巾を握りしめつつも、見学を中心に建物を見て廻りました(すみません)。しかし、最後の30分は全力で体育館の舞台プロセニアム袖部分の不要物の除去をおこない、かなり綺麗になったと思います。汗 建物全体を大橋智子さんにご案内いただき、丁寧な解説をしていただきました。入谷における坂本小学校の位置付け、窓枠周りの特徴的なディテールや体育館横のトイレにある唯一現存する初代の鉄窓、木階段、柱の付け問題、可愛らしい塔屋など、極めて興味深く、説明を聞かせていただきました。大橋さんには、改めて、感謝を申し上げます。屋上からは東京スカイツリーも見え、グランドでは、地域の小学生がサッカーをやっていました。魅力あふれる小学校で、とても、心地の良い風景でした。 主催者である小林一雄さんは、以前、仕事でご一緒した今村ひろゆきさんとまちづくりや設計をされている方で、ご挨拶をさせていただきましたが、地元愛にあふれている方でした。また、主催者の一員である中村出さんにもお会いし、銭湯を再生して事務所とカフェをされていることなどのお話をしていたところ、昭和23年に坂本小学校を卒業された方のお話をお聞きすることができました。(今度、快哉湯を見学させてください!)ちょうど、昭和21年に卒業された方も参加されており、2つ先輩ですね、といった昔を懐かしむ小さな出会いの場ともなっていました。さらに、以前、別の機会で知り合いとなりました、渡邉尚恵さんも主催者の一員ということで、驚きましたが、人の繋がりを感じた日となりました。 諸般の事情があるとはいえ、地域に親しまれている貴重な遺産が解体されることは残念ですが、最後まで、見届けたいと思っています。(今更かもしれませんが、何とかなりませんかね。。)
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2021年12月14日、武蔵野美術大学大学院の建築構法特論の13回目の講義が終了したことで、今年度の大学における私が受け持つ全ての授業が終了しました。今年度は、4つの大学(武蔵野美術大学、東京工芸大学、福岡大学、国土交通大学校)で、5つの講義(建築構法、建築構法特論、建築生産Ⅱ、建築キャリアデザイン、建築計画)を受け持ち、そのうち、3つの授業(3コマ)は、座学と設計演習を交えた、各13回の授業をおこなうといった内容でした。 2020年度の独立後からの設計実務と教育活動の両立は、とてもハードなものでしたが、これまでになく充実した活動となりました。1コマ13回の講義のシラバス作成から始まり、講義一連の流れや構成を組み立てつつ、カリキュラム上の位置づけ、講義ごとの達成目標を満足するための準備・採点評価など、これまでの設計実務とは異なる思考過程でしたが、講義をする立場にありながらも多くの学びがありました。これまで、学生さん側からレポートや感想をもらうことはありましたが、評価されたのも初めてでした。ボトムアップやトップアップの教育なども含めてとなりますが、座学の講義での質疑応答においても、演習でのディスカッションにおいてもですが、何より、学生さんとのやりとりが楽しく有意義な時間であったと思っています。 今年度実施した講義は、テキストに沿った授業内容もありましたが、実際の設計をおこなう実務者として伝えた現場の実情や苦労話、他方、設計の楽しさ、座学が実務にどれほど重要で活かされる知識であるかなどを伝えました。授業を行う中で、建築学、特に、建築構法や建築再生は、現場や社会に極めて近い学問であると再認識しました。 武蔵野美術大学大学院の建築構法特論では、最後のレポートの提出形式を、日本建築学会の梗概をひな形として使用することとしてみました。来週、レポートを受け取ることになっています。受講生は、初めてのレポートの形式だと思いますが、各自、自らの言葉で、授業での学びや今後の設計に活かす方法などを書いているかと思います。これらの講義が、学生さんの知見を深めるための気づきになっていれば幸いです。 来年度は、また、新たな気持ちで活動をおこなっていきたいと考えています。お声がけいただいた先生方と各大学に、改めて、感謝いたします。みなさま、今後とも、引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
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先日、私の高校時代の友人が、何かに挑戦することはすごいことだと、fecebookに投稿していました。その友人は挑戦を続けていました。その投稿を見て、改めて、私も挑戦することはすごいことだと思いました。挑戦にはリスクがともない、成功するためにはたくさんの努力が必要であると思っています(成功の定義は何かという問いもありますが)。 挑戦したとして成功するかは分かりません。運やタイミングも関係するかもしれません。それでもなお、挑戦するということは、覚悟を決めて自らを奮い立たせ、次なるステージに身をおきたいと思う気持ちが持てるかどうかということに他ならないと思っています。挑戦をしなければ、次なるステージにステップアップすることの喜びは得られず、やもすると、失敗を恐れて萎縮し、挑戦しないという選択肢を選ぶこともあるかもしれません。 日頃の地道な活動の積み重ねにより経験や知見の深度が増し、少なからず自信のようなものがついてくると思っています。何かを辞めて、諦めることは簡単なことです。しかし、何かを継続的に積み重ねることは、簡単そうに見えて、とても、難しいことだと思っています。 来年度に向けて、大きな挑戦をおこないます。2020年、社会人になって20年間務めた会社を退職し、コロナ発生と同時に自らの設計事務所を創業したことも大きな挑戦でしたが、さらに、大きな挑戦になると思っています。みなさまに支えられながら、これからも引き続き、真摯な姿勢で、一つ一つのことに取り組み、活動を積み重ねていきたいと思います。facebookなどで拝見する、みなさまの挑戦が励みになっています。 みなさま、引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。 追伸 投稿した写真は、2013年、初めて母校で設計課題のクリティークに参加させていただいた時の青木茂先生と小川晋一先生に挟まれた写真と、2016年、これもまた母校での博士論文の公開発表会時に青木茂先生と角田誠先生に挟まれた写真です。それぞれ、当時、私が挑戦していた時の、どちらも、私が恩師に挟まれている、懐かしくも幸せな写真です。
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2021年10月23日、武蔵野美術大学の源愛日児教授の退任記念としての最終講義を拝聴いたしました。昨年度、退官され最終講義の日程を調整されていたのですが、コロナの影響により、この時期のオンライン開催となっていました。 小西泰孝先生が司会をされ、1984年から2021年までの「設計課題をめぐり」と題して、「意味・変容する形式・身体」についての講義を受けました。学生時代からの着眼点、先生が研究テーマとされている木造の継手・仕口、設計課題に対する共通の問題意識、ゼミの話など、高度な内容をとても噛み砕いて分かりやすくお話をされており、意匠や構法、および、設計に対する先生のスタンスを拝聴することができました。 講義後、高橋晶子先生が受講者を代表して感想を述べられていましたが、源先生の問題意識の幅広さ、発想のユニークさ、発せられる言葉と言葉のあいだに現れる雰囲気などがただものではないと言われていましたが、私も講義を拝聴してそのように思いました。特に、川越の設計課題の設定については、京都のお話を交えながら、とても、興味深かったです。私を武蔵野美術大学にお声がけいただいた源先生ですが、先生の講義を直接、拝聴したことがなかったので、大変勉強になりました。そして、何よりも、源先生の人柄が現れている、親しみのある講義であると感じました。 建築構法と建築構法特論の講義を源先生から引き継いで、本年度から、講義をさせていただいております。これからも、まだまだ、源先生にはご指導いただきたいことがたくさんありますので、既に、名誉教授となられておりますが、今後とも、引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。 貴重な源先生の最終講義を拝聴させていただきました。誠にありがとうございました。 https://www.arc.musabi.ac.jp/news/ 武蔵野美術大学教授退任記念 源愛日児 最終講義
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2021年10月20日、国土交通省が所管する国土交通大学校において、令和3年度の専門課程で実施される建築計画(企画・設計)という研修の「既存建築物の改修・再生」についての講義をおこなわせていただきました。 初めて小平市にある国土交通大学校に行きましたが、隣地には、長岡弘樹の小説教場を連想させる警察学校があり、近くには、私が非常勤講師をしている武蔵野美術大学があるなど、小平市は学園都市であると感じました。 受講者はオンラインで全国から参加されていました。他の講師陣は、本省の課長や専門官もいましたが、東京大学の清家剛先生、早稲田大学の古谷誠章先生、日建設計の山梨知彦さんなど、錚々たるメーンバーの中で、私もその一員として登壇させていただきました。 少しの時間でしたが、講義の前後で、今回お世話になりました同大学校の原朋久科長と、本省在籍時のお話や、これからの公共施設のあり方を議論しました。全国には、まだまだ、再利用されるべき建物が多くあるとのことで、予算が整理しずらいことや、具体的な計画を進めることが難しいことなどについての意見交換をおこないました。講義後の質疑においても、受講者と活発なディスカッションをおこない、それぞれの方が持たれている課題などについて、お話をさせていただきました。 最後に、来年度以降についても、講義を依頼したい旨のお話をいただき、原科長にご挨拶をして帰路に着きました。社会状況にもよりますが、来年度は、対面での講義になりそうとのことで、受講者も講義後の個別の意見交換を期待しているところも多いとのことでした。私としても、画面に向かってお話をするよりも、やはり、その方がよいと思っています。 お声がけいただいた東京都立大学の角田誠先生、国土交通大学校、ならびに、関係者のみなさまに感謝を申し上げます。
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耐震改修をともなう建築再生を生業とする自分自身も、とても、不安な気持ちで、揺れがおさまるのを待っていました。今回の地震は、東京でも震度5弱を記録し、とても長い時間、揺れが続いていたと感じました。自宅は新耐震の構造基準で設計された建物であるし、地盤も良く、高台にあるので水の恐怖はないだろうと思いながらも、もし、仮に、建物が崩壊した時には、窓際はあぶないから建物中心よりに避難しておこうととか、家具が倒れると危険なのでどの家具を支えれば怪我はしないだろうかとか、テレビをつけると直下型と言っているので津波は発生しないなとか、東京の人はこれくらいの地震は怖くないのかななど、いろいろなことを考えながら、長い揺れがおさまるのを待っていました。 建物の安全性を確保することは、とても重要なことだと改めて実感しました。私は九州福岡の生まれで、2005年の福岡県西方沖地震を経験するまでは、地震を一度も経験したことがなく、上京後、東京で頻繁に起こる小さな地震にも、今も全く、慣れることができません。 新耐震基準で設計されて、新築時から住んでいる現在の自宅でもこのように怖さを感じるということは、旧耐震基準で設計された建物の利用者は、今回の地震を、私が感じた怖さ以上に感じたことだと思います。建物の安全安心が大切だと思いながら、通常時の利用においては、バリアフリーや雨漏りなどの安心の部分に目がいきがちですが、やはり、建物の安全性、すなわち、建物の耐震性能の確保の必要性がまず前提となるのではと感じた次第です。 大袈裟な表現になりますが、私のできることや私の持っている知見で少しでも、日本全体の安全安心に寄与できればと思いました。いつ、大地震が発生するかは誰にも分かりません。大地震の発生する可能性が低いとされている地域でも発生することが体験的にも近年の地震発生状況を見ても分かっています。福岡は地震が起こらないと言われていましたし、福岡の建物所有者は、地震保険にはほとんどの方が加入されていなかったと思います。できるうる限りの対策を講じておく必要があると感じました。 みなさま、どうか、ご安全に。