2月, 2022

 
2月 27, 2022

恩師である小川晋一先生の最終講義を拝聴いたしました。

 2022年2月26日、恩師である近畿大学小川晋一教授の退官記念としての最終講義を拝聴いたしました。直前まで各種調整をされていたのですが、コロナウィルス・第6波オミクロン株の影響により、オンライン開催となりました。それでも、多くの現役生が校内の別室で講義を受け、OBOGも数百名が全国からZOOMを接続して、講義を拝聴していました。小川先生のお人柄がにじみ出ている講義だったと思います。  非常勤講師の中川雄三先生が司会をされ、「近大生の知らない小川晋一」と題して、1.事務所設立35年間の主な活動、2.事務所設立35年の主な作品、3.私の66年間の年表、4.皆に伝えたいこと、として、1200枚もの枚数のシートを、小川先生がいつもの物凄い勢いで講義をされていました。笑。作品はどれも、何度拝見しても、見応えのある内容でした。また、卒業生代表の佐々木勝敏先生の謝辞は、ウィットに富んだ、小川研OBOG全員の考えを代弁する感動的なものでした。それと、質疑応答で指名されて、このような場で直接、小川先生とやりとりさせていただいたことは幸せでした。  学生時代や初期の頃のお話もとても興味深く、多くの知らないことを教えていただきました。その中でも、私に刺さったことは、2点でした。1点目は、「自らの求める建築を求め続けること」、すなわち、何事も継続することが大切だということでした。建築再生を20年続けている者として、確かにそうであると感じています。2点目は、「褒めて調子に乗せる教育の方が良いと思っている」とのことでした。先生が学生時代にたくさん褒められた経験から、自信ややる気が生まれてきたので、教育者になってからは、学生を褒めて伸ばそうと思ってこれまでやってきたとのことでした。小川先生の優しさは、このような考えからきていたのかと納得なのと、私も肝に銘じようと思いました。  それと、来賓として列席されていた、元近畿大学の講師で、現在は、東京大学で教授をされている加藤耕一先生から、翌日、メールをいただきました。実は、来年度より、建築再生に関する共同研究をおこなうメンバーとして、ご一緒することになっているのですが、これまでお互いに、小川先生との関わりを話す機会がありませんでしたので、びっくりしたよとのことでした。小川先生が講義の中でも言われていましたが、さまに、人との縁やつながりを大切にしなさいということにつながっているなと感じました。  これまで、28年間、ありがとうございました。これからは、私たちOBOGが、小川先生の意思を受け継ぎ、前へ進んでいく所存ですが、まだまだ、小川先生にはご指導をいただきたいことがたくさんありますので、今後とも、引き続き、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。貴重な最終講義を、東京から拝聴させていただきました。誠にありがとうございました。 以下、私が退官の記念本の中で、小川先生に送った謝辞です。 憧れの存在  私は建築家になるべく建築を巡り,空間を体験し,知見を深めるために書籍を読み漁る中で小川建築を観取したのは,他大学で過ごした学部時代である.清閑で美しく繊細であるにも関わらず,なんて力強い建築なのだろうと衝撃を受けたことを鮮明に記憶している. 1998年,学部を卒業後,私は小川晋一先生が教鞭を執る近畿大学大学院への入学を希望し,小川研究室の門戸を叩いた.院生時代,多くは語らない小川先生の優しい口調の奥にある鋭い示唆に,いつも私は耳を傾けていた.造形的な指摘や意匠計画に関わる指導も受けたが,私は建築に向き合う姿勢や哲学を小川先生から学んだ.小川先生は間違いなく世界で一番カッコイイ建築(稚拙な表現であるが,私がそう思うので仕方がない.)を創造する建築家であり,私の学生時代から変わらない,今でも私の憧れの存在である.小川建築よりカッコイイ建築を私は知らない.憧れの存在が自らの師匠であることを,私は幸せなことだと思っている.言葉に出さずとも,小川研OBOGは,皆,そのように思っていると思う. 改めて,小川建築の何がカッコイイのかを思料すると,それは,研ぎ澄まされた貪欲なまでの究極のディテールに尽きる.これらを実体のある建築に落とし込み,ミニマルにまとめる検討過程は,極めて高度な思考を要すると拝察する.世界で初めてモダンデザインの枠組みを確立した,美術学校であるバウハウスの初代校長ヴァルター・グロピウスの言葉に,「全ての造形における,最終芸術は建築である.」という私の好きな言葉がある.建築は絵画などとは全く異なる次元における,上位の総合芸術であると考える.すなわち,建築は,芸術でありながら社会性があり,人命や人の生活・営みを左右することを意味していると私は捉えている.まさに,このグロピウスの言葉は,小川建築を示していると考える. 2014年,2000年3月に大学院を修了の後,長い時を経て,小川先生との再会は突然訪れた.当時,私が設計を担当したプロジェクトのクライアントが,小川先生のクライアントでもあったのだ.東京,新宿駅西口の思い出横丁で,クライアントを挟んで3人で酌み交わしたことを,私は一生,忘れないであろう.何よりも,小川先生に,私という小さな存在を覚えていただいていたことが嬉しかった. 2020年,小川先生から私の携帯電話に突然のcallがあった.驚きを隠せなかったが(隠したが),それは,母校の伝統ある特別講義の講義依頼の連絡であった.母校で講義をさせてくださることが誇らしいし.また.歴代の錚々たる建築家が教鞭を執る近大建築の名物と言ってもいいであろう,特別講義の演者として名を連ねさせていただいたことについては,万感の思いがある. 現在,おこがましくも,建築の再生を設計するといった,社会的には小川先生と同等の立場で戦う身となったが,今の私が存在し得るのは小川先生のおかげであると言っても過言ではない.改めて,この場を借りて密やかに,しかし,強く感謝の気持ちを小川先生にお伝えしたい. 小川晋一先生,ありがとうございます.合わせて,これまでの近大建築への教育に尽力されましたことについて,本当にお疲れさまでした,とお伝え申したい.小川先生の教え子として,先生の名を汚すことのなきよう,精進する所存である.これからも,これまでと変わらず小川先生にご指導をいただけると私は幸せである.小川先生がこの稚拙な文章をご高覧くださると幸甚である. 1999年度大学院修了 奥村誠一建築再生設計事務所 代表 奥村誠一